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書評:1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法(山口揚平)

 

1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法

1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法

 

 

M&Aアドバイザーとして活躍された山口揚平さんの新著
 
山口さんの『デューデリジェンスのプロが教える企業分析力養成講座』は、ビジネスデューデリジェンスの名著で、若手コンサル時代に感銘を受けた。
 
本書は、前半が「思考の鍛錬法」、後半が「ポスト東京オリンピックの日本像」になっている。感想として、前半はGood。後半は、正直良くわからなかった。
 
前半の思考の鍛錬法は、山口さんの著書に一貫するワンネス哲学と、その鍛え方が披露されている。
 
ワンネス哲学とは、一見すると別々の現象が、裏では繋がっており、そこには確固たる構造が存在するため、それを見抜いてこそ、意味のある解決策を見出すことができるという考え方だ。一般には、構造主義と呼ばれる考え方だと思う。
 
考え方そのものは新しくないのだが、山口さんの描く、ワンネス哲学に対する自信や気概を感じられたことが良かった。「すべて構造を見抜ききる!それこそが、最善の問題解決!」という強い意志が感じられ、コンサルたるもの、これくらい自分の思考法に自信がないと、価値はだせないな、と思わせる。(コンサルは虚業だ、などという批判に惑わされては、駄目なのだ。)
 
余談になるが、こういった自身の思考への絶対的な自信は、マッキンゼー出身者に多く見かけるように思う。(山口さんはマッキンゼー出身ではないが。)世の中は、ロジカルに考えて一定の真理が存在し、それこそが拠り所となる、という信念のもと、課題解決していく。一方、BCG出身者の思考法は「融通無碍」を本尊としていて、同じくロジックに基づいてはいるものの、もっと相手の考え方に合わせ、フィットするストーリーテリングを志向するところに、より重心がある感じだ。
 
さて、個人的には、後半の「ポスト東京オリンピックの日本像」は、ピンとこなかった。まず気になったのが、コミュニティへの過信だ。
 
山口さんは、これからはソサイエティ(政府/企業/従業員)ではなく、コミュニティの時代だと言う。ソサイエティへの求心力は日に日に薄れ、働き方もフリーランスを中心に多様化していけば、横の連帯で繋がるコミュニティの力が増していくはずだ、と。ここまでは、私も同意するところだが、更にその先に一歩進んで、コミュニティが力を持つと経済体になる(コミュニティがお金を稼ぐようになったり、独自通貨の発行に踏み込む)という所は、?マークだ。
 
僕の考え方は、むしろ真逆。コミュニティは、経済活動に対して内向きな存在だと思う。そもそもコミュニティは、趣味的な繋がりのものと、経済的な繋がり目的のものがあるように思う。前者は、いわゆる趣味サークル・ボランティアサークル・コミケ同人でも商業化してない小規模なもののイメージで、どちかというと非経済活動こそが目的だ。
 
一方で、経済的な繋がり目的のものは、起業前のプロジェクトや、副業を目指す人達のネットワーク、サロンといった所だろう。こちらは、どちらかと言うと、ソサイエティに対してスノッブで、排他的。ソサイエティのダメな所を色々と挙げて、そのうえで自分たちはクリームスキミング(いいとこ取り)して、一儲けしよう、という考え方が多い印象だ。
 
イメージは、平安時代の「荘園」。荘園の力が強まりすぎて、当時の中央集権が瓦解したように、高度な社会保障と政府をもっているいまの日本にとっては、結構な危険分子になり得ると思っている。ミクロに見ても、経済志向のコミュニティは、情報商材×ねずみ講的なイメージが強くて、あまり良いイメージを持っていない。コミュニティは、素晴らしいものだが、そこに「×経済活動」をしてしまうと、相性が良くない、というのが僕の考えだ。
 
経済活動には責任が伴う。だから、法人を縛る法律があるし、得た利益を公共の利益に還元する税という仕組みもある。コミュニティ×経済活動は、一時のプロジェクトとしては有り得るのだろうが、持続可能な仕組みを目指した際に、既存のソサイエティ(特に法人)を代替するようなものでは無いだろう。
 
また、信用経済がお金をリプレイスするという考え方も、行き過ぎだと感じた。
 
山口さん(だけでなく、様々な信用経済論者)曰く、これからの時代は、お金よりも信用の蓄積が重要で、信用がお金をリプレイスしていくと。確かに、会社に所属していれば、テキトーに仕事をしているだけで、お金がもらえた時代と比べれば、信用の価値はとてつもなく大きくなっている。だが、お金をリプレイスする、というのは行きすぎだろう。
 
信用を貯めることで、価値交換が出来て、中央政府の発行する貨幣がいらなくなる、という発想は、この世の中の複雑性を軽く見すぎなように感じる。
 
僕たちのあらゆる活動は、見ず知らずの色んな人の活動の結果として成り立っている。そのなかには、まったく共感できない人が、まったく共感できないモチベーションでやっていることもあるだろう。(イメージ、パチンコ通いで、子供もほったらかしのオッチャンが、いやいややっている仕事。)しかし、そういう仕事で、世の中まわっている。普通には共感しづらい人や活動にも、隅々に行き渡るのがお金であり、言ってみれば必要悪だ。それを信用経済が、リプレイス出来るとは、到底おもえない。
 
と色々と揚げ足とりをしてしまったが、こう感じるのは、私が古い人間だからだろうか。(無邪気に仮想通貨を信じられるニュータイプになりたかった・・・)

 

1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法

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